早稲田通りにあり、早大生が早稲田大学から高田馬場駅へ歩いて移動する「馬場歩き」でも通り過ぎる松の湯は、早大生にとっても「早稲田の銭湯」として知られているだろう。

私は大学に入学し都内で過ごすようになって、週に1回か2回は銭湯へ足を運ぶくらい銭湯にとりつかれた。その中でも、一番お世話になったのが松の湯だと思う。

大学から歩いて3分のところにある立地はとても魅力的だ。足を踏み入れると、ロビーには季節を感じさせる飾り付けがある。秋には紅葉の飾りが、クリスマスには雪だるまやサンタクロースが、1月には正月飾りが人々を歓迎してくれる。感染症が広がらず、早稲田も例年のように沢山の学生で溢れていたら、桜やこいのぼりが新たな早大生を歓迎してくれていたのかもしれない。

東京都の銭湯の料金は一律470円と決まっている。松の湯ではフェイスタオルを30円で貸し出しているから、いつも500円玉を用意する。1時間以上時間が取れそうなときで、ちょっと余裕がある日には1000円でサウナに入る。

私は自分の身体をきれいにしてお風呂に入るのが好きだ。そのほうが、暖かさも冷たさもきちんと自分に染みてゆく感覚があるのだ。だから、トイレは済ませておいて、歯も磨いて、あせらず、一枚一枚ゆっくりと脱いでゆく。そうして裸になると、入口の風呂桶と風呂いすを自分のものにして、カランを選ぶ。風呂桶にお湯を注いで、少し水を足して熱すぎないように調節する。シャワーではなく、桶のお湯をざばりとあびるのが、いかにも銭湯っぽくて好きだ。普段は使わないリンス・イン・シャンプーも特別感がある。

湯船に入る準備ができると、私はいつも浴槽のふちに寄りかかって、とりとめのない考えに浸ったり、浴室内の会話に耳をすませてみたりする。早稲田で過ごしていると、見かけたり会話したりするのは早大生や先生方、職員の方たち、またはワセメシのお店の人たちばかりだ。早稲田という街のイメージは、その人々や景色によって構成されている。でも、松の湯に来るたび、この街はいくつもの世代の多様なひとたちで構成されているのだと気づかされる。早大生らしき人たちもよく見かける。聞こえてくる単語から、どんなサークルに所属しているんだろうってちょっと想像してみたり。何万人もいる早大生のなかで、たまたま同じ日にこの松の湯に訪れて、会ったことも、話したこともないのに、同じ空間で裸になっているのってなんだか面白い。

松の湯のサウナは絶品だ。サウナにはサウナ室の温め方によっていくつか種類があるのだけれど、松の湯はボナサウナという格納式のサウナ。サウナのベンチの下にヒーターがあるので、狭い部屋をまるまるサウナスペースにできる。夜遅くのサウナだとサウナ室を独り占めできることもあるので、タオルをうまく使って寝っ転がって温まる。頭に浮かんでは消えてゆくさまざまな考えや気持ちを、忘れたくなくてなんとか保持しようとしたり、逆に無心になろうとしたり。ああ暑い、そろそろ限界かも、と思って顔を上げたとき、ドアの透明な部分からのぞく舞う鶴のタイルがが本当に美しいと思う。

松の湯の水風呂は細長く入り込む形状をしているので、複数人で入ると少し窮屈である。でも、だからこそよく会話が発生する。「わたしもう上がるから大丈夫よ」と譲ってもらったり、自然と出た溜息で清涼感を共有したり、「若いのに、すごいわね」と言われて認めてもらえたような気持ちになったこともある。

サウナブームとともに「ととのう」といった言葉が広まった。サウナまたは熱い湯船と水風呂の入浴と休憩を繰り返すと訪れるなんともいえない気持ちよさのことだ。個人的には、「ととのった」状態になると、身体が浮遊感を持ちつつも五感が洗練されて、世界の様々な要素に気付く気がする。水風呂の水面はきらきらと輝いているし、結露した窓の水滴は流れたり止まったりして音楽みたい。水流やヒーターや換気扇と、人の声以外にも様々な音がこだまするのに気付く。優しく染みていくお湯や水も、水滴をタオルに吸収させていくのも気持ちいいし、お風呂あがりに水や牛乳を身体に流し込むと、ああこのために生きている、と毎回思ってしまう。

「おやすみなさい」と店を出たあと、外気を浴びて「お風呂屋さんのにおい」が鼻をくすぐるまでが銭湯だ。

次に松の湯に行けるとき、なんの季節飾りが飾られているだろう。少しじれったいけれど、水風呂に入る前に身体を温めるように、じっくりと待とうと思う。

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SHOP DATA

松の湯

住所:新宿区西早稲田1-4-12

営業時間:15:00-25:00

定休日:月曜日

TEL.03-3203-1655


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