こんにちは。高田馬場新聞編集長です。
取材・執筆を手伝ってくれる仲間もできたので、これからはちゃんと名乗っていこうと思います。
さて、2013年12月に 高田馬場新聞を創刊してから、早くも3年半が経ちました。
高田馬場新聞をやっていると、どこでマネタイズ(あまり好きな言葉ではないですが)してんの?とか、よく聞かれます。
ですが実際のところ、いわゆる収益事業としてはやっておりませんで、趣味に近いところでほそぼそと取材して更新して、といった感じでやっているというのが実情です。
まぁなんでもかんでもお金にしなくっちゃね!というのもどうかと思いますし。とは言えそう尋ねたくなる気持ちもわかります。
では、どんな時にどんな対象を取材してるのか!
そう問われれば、自分が面白いと思ったものだけを取り上げています、とお答えするよりほかありません。「取材して!」と言われると行きたくなくなる天邪鬼なところもあったりして。
とにかくそんなこんなで今回は、高田馬場の地域活動をする中で知り合った村田芳子さんという高田馬場在住のおばさまを取り上げることになりました。
今後はこういう感じで、人にフォーカスした記事を増やしたていこうかなと考えています。
はい。こちらが村田芳子さんです。
どこからどう見てもいわゆる「おばさま」ですね。
この、どこからどう見てもおばさまの完全体にしか見えない村田さんのなにが、高田馬場新聞の興味アンテナにひっかかったのでしょうか?
それは、村田さんとある会合の打ち上げで飲んだ時のこと。
村田さんがご自身の活動について話してくださいました。
あ、村田さんはお酒が大好きだそう!
なんでも京王プラザホテルのバーにもボトルが入っているらしく、今度連れて行ってもらうことになっています。なんかすげーー。
ちなみに村田さんの息子さん、高田馬場新聞(1973年生)と同い年ということがその飲み会で判明しました。
話を戻します。
村田さんはかれこれ15年ほど前に新宿区が主催した「新宿区民会議」という場に参加されました。面接などいくつかの厳しい審査を通過して会議メンバーとして選ばれた村田さん。区民会議の場を通じて、いろいろな学びを得たと言います。
聞けば村田さん、将来はグループホームを経営しようと考えていたそうなのです。
どうやらおばさまというよりはビジネスウーマン。1枚、また1枚とおばさまの皮が剥がれてきます。
どうしてグループホームをやろうと思い立ったかのか尋ねますと「自分は将来一人ぼっちになる。だから一人になっても寂しく無いように、まわりにいつも人がいる環境を作ろう」と思ってとのことだと言います。
うぁぁ。ちょっとコレ、おばさまの皮をかぶった何モノ感(うまく表現できませんけど)がものすごいです。でもそういった切れ味鋭いことを、飄々とお話しされるんです。
高田馬場新聞、村田さんのファンになっちゃいました。
で、そんなことを考えていた矢先、村田さんはご主人を突然死という形で亡くされます。
さらにそのショックに打ちひしがれる間もないうちに、同居していた義父、義母と、立て続けに要介護状態になり、介護に追われる日々が始まったのだそうです。
今では娘さん夫婦と同居し、かわいいお孫さん(あとワンコも)との暮らしを満喫している村田さん。ですが、当時は全てを一人で抱え、煮詰まってしまっていたと言います。
村田さん「煮詰まってしまった私、その時どうしたと思いますか?」
高田馬場新聞「あ、えっと……わかりません! どうしたんですか?」
村田さん「『助けてくださいっ!!』って声をあげたんです。大きな声で(笑)。そうしたらおおぜいの人たちが手を差し伸べてくれました。そのときの私に適した行政サービスもいろいろありましたし、近所で支えてくれる人たちはいるし。でも、いざ困ってみないと、そういった支援体制があることには気づかないものですね」
そんな時に声をあげるって、できそうで、なかなかできないことですよね。
自分で、または身内でなんとかしろよ、なんてことを思われそうで遠慮してしまいそう。
しかし、村田さんは声をあげ、周りに助けられて、今はご自身が誰かのためになることのために身を砕いておられるのです。
そう。
村田さんはこれまでの経験をもとに、自宅開放型サロンなどの地域活動に取り組んでいます。
高田馬場新聞も、地域での集まりで村田さんと出会いました。
こちらは、村田さんがご自宅で開催されているサロン「サロン DE かたくり」。
村田さん「このネーミングは、片仮名・フランス語・平仮名で、色々な多文化共生を表したつもりです。日本人も外国人も、高齢者から赤ちゃんまで、我が家(サロン)に来て頂ける方なら、誰でも参加自由です(但し日本語が通じる人でお願い致します)」
うん。ネーミングセンスも絶妙です。
ご自宅では主に、お花を生ける会をやっておられます。
村田さんの実のお母様(95歳!)が、かつてお花の先生をやっておられたということもあり、ご自宅のサロンで生け花をやるようになったそうです。
当然ながらふだんは、年相応の加齢にまつわるエトセトラがあるそうですが、この時ばかりはシャキッとして、生徒さんにビシビシ指導を入れておられます。
この日も皆さん時間をかけて生けたお花をザックザックとぶっこぬかれて、直されてました(笑)。
自分の輝ける場所があることで、人はこれほどまでに元気になるという好例ではないでしょうか。
村田さんはご自宅でのサロン以外にも、西早稲田リサイクルセンターでのサロン活動、戸塚地域センターで毎月第3水曜日に開催される「とつかふぇ」などの活動に取り組んでおられます。
「とつかふぇ」では毎年夏に、村田さん発案の「スイカの解体ショー」が開催されるとか。
スイカ切るだけのことなのに、解体ショーって言ったら行きたくなりますよね。
このネーミングセンスとか、いろいろグッときます。
辛いことを経験した時って、その人の真価が問われるというか、愚痴っぽくなったり悲観しがちになったりすることが多いと思うのですが、その経験を「誰かのために」活かすことをしている村田さん、とても素敵だと思うのです。
そんな村田さん、民生委員もされているそうです。
高田馬場新聞も、こうして地域のことに関わるようになるまで民生委員っていう人と出会うこともなかったんですが、とても重要な役割を担っているのですね。
制度としてちょうど今年(2017年)、100周年を迎える歴史ある仕組みのようです。この辺もまた機会があれば掘り下げてみたいところです。
それでは村田さん、また飲みましょう!
高田馬場新聞 編集長 向井直也。