どうも。
見習い記者Mです。
「見習い」とはいってもアラフォーのオヤジです。
前回、ミャンマーの総選挙が高田馬場にどんな影響があるかって記事を書いたのを読んでくださいましたか?
私、その取材でミャンマーにめちゃめちゃ興味を持っちゃいまして… それで、そう!
現地まで行ってきちゃいました!
編集長すら行っていないってのに、高田馬場新聞初の海外取材です!
その前に、ミャンマーってどんなところか知ってますか?
アウンサンスーチーくらいしか知らない…?
でも、それで十分です。
もうちょっと補足すると…
ずっと軍事政権だったのですが、昨年11月の選挙でスーチーさん率いる政党が勝って民主化への道を急加速しているところなんです。
かつて世界最貧国ともいわれたミャンマーが外資の流入で急速な発展を遂げている…、これはリトルヤンゴンと言われる高田馬場の熱血記者としては放っておけない!
ヤンゴンの「今」が見たい!
なので、現地・ヤンゴンへ行ってきました。
ヤンゴンへはANAの直行便(約6時間)があるんですよ~。
しかも日本企業がどんどん進出していて、飛行機の中はビジネスマンだらけ。
観光で訪れる日本人は他のアジアに比べてまだまだ少ない。
私、ミャンマーがちょうど50か国目になるのですが、久々に刺激を受けそうな国に出会ったような気がしてワクワクが止まりません!
そこで、今回のテーマはこれで決まり!
「せっかく高田馬場に住んでいるんだからミャンマーをもっと身近に感じてもらおう!」
読者のみなさんは興味が出たら有給休暇もらって行っちゃおうかな~的な感じで読んでくださいね。
それではミャンマー・ヤンゴンのレポートをお届け!!
まずは私が泊まったホテルから。
どうです。すごくない?
アジアの貧国といった面影は全然ありません。
窓からはヤンゴン最大の観光地・シュエダゴンパゴタが一望できました。
ヤンゴンの人たちの平均月収は1万円くらいなんですって。
で、このホテルが1泊1万円。
もちろん高級ホテルの類に入りますが、1泊1万円なら他のアジアの国ならもっと良い部屋に泊まれるな…と思ったくらいなので、外国人向け価格なのでしょうね。
そして一番大事なのは「食事」!
タイやベトナムが観光大国として人気なのはやっぱり食事が美味しいからだと思うんです。
でも、ミャンマーも負けていませんよ~
ミャンマー料理のチキンのココナッツカレーとソフトシェルクラブ(ふ化直後の蟹)のから揚げ。ともに700円くらい。
お世辞抜きに絶品でした!
濃厚でクリーミーなココナッツカレーに蟹肉たっぷりソフトシェル。
インドやタイの間なので味付けや料理自体もそれらの影響を受けたものが多い印象。
エビのレッドカレーや豚のココナッツミルク煮(ラオス料理)も美味しく、ジンバッグが良く合います。
その他にも、シンガポール料理のビーフン炒めだって…
モロッコ料理のクスクスだって…
カルボナーラだってあるんですよ!
パイナップルとキュウリのカクテルを飲みながら…
全部、美味!
ねっ!行きたくなってきたでしょ!
ミャンマーに行ったからって、別にミャンマー料理ばかり食べなくてもいいよね…だって、ミャンマー料理は高田馬場で食べられますから。
ミャンマー人が作ったカルボナーラも貴重だと思うんです。
そして日本食が恋しくなったら、もちろん刺身の盛り合わせだって…
白身魚(種類は不明)、サーモン、イカ、エビ、しめさば、卵の6種類とミャンマービール。
こだわりのガリは生姜をスライスして甘酢に漬けた自家製。
大葉の代わりにレタス、つまの代わりにキャベツなのはご愛敬ということで。
そしてショーケースの中には虫さんがチラホラ…でもこれは見て見ぬフリ…
衛生面、気になりますよね?
実はこれが原因だとは信じたくないのですが、翌日から一週間も強烈な下痢に襲われました。
プライベートな旅行だと生モノは食べないけど、今回はヤンゴン体当たりレポートなので、体を張ったら痛い目に遭ったようです…
一つの都市に滞在するとき、食事のバリエーションって大切。
その点ではヤンゴンは合格(お刺身以外)です。
全部、手ごろな値段で世界各国の料理が食べられますよ。
そして、少し驚いたことがあったんです。
地図を見ながら目的地まで歩いていると、場所がわからなくて近くにいるミャンマー人に聞いても英語がわからない人や地図が読めない人が多い。
で、困っていると別のミャンマー人が日本語ペラペラで助けてくれるんです。
滞在中、3回もありました。
彼らに聞いてみると、みんな日本に住んでいたことがあるようで、日本のどこ?って聞いたら「東京」っていうので、東京のどこ?って聞いたら『高田馬場』って!
同郷の人に会ったようで、「僕も高田馬場に住んでるんですよ!」って言っても「あっ、そうですか?」って。こっちの人は結構ドライなのね。
そのうちの一人がウィンさん、33歳。
彼は10年前に高田馬場のミャンマー料理店で働いていて、今はヤンゴンで旅行会社をやっているそうです。
外国人とビジネスを興すと税金が高いので、ミャンマー人の友達と会社を作ったけどあまりうまくいってないんだって。
だから、日本から来たビジネスマンにデート相手としてミャンマーレディーを紹介するバイトでお金を稼いでいるそうです。
ミャンマーレディーの体当たりレポートはしていませんので、詳細は断じてわかりません!!
さらに通りを歩いているとこんな看板が!
日本式健康マッサージ「GENKY」。
この怪し~いキャラクター、気になります!
これは体当たりレポートで!
フットマッサージ60分で約800円。
受付で丁寧に説明を聞いて、マッサージ椅子に案内されて数分後…
さっきの受付の人がマッサージ師を手で支えながら連れてきました。
そのマッサージ師は全盲の方でした。
マッサージの腕前は丁寧でとにかく一生懸命。
心を無にして全神経を手に集中させて施術してくれます。
ここにいるマッサージ師はみな全盲の人でした。
日本の団体が視覚障害のある人たちが社会進出できるように技術と働ける場所を提供しているそうです。
だから、「日本式」のマッサージなんですね。
こうした両国間の繋がりがいつか大きな橋になる日が来るといいですね~
さて、気になる観光地ですが、これはガイドブックを見てください。
シュエダゴンパゴタなどいろいろ行ったのですが、正直つまらなかったです…
そのなかで私がオススメするのが「市場」。
その街を知りたければ市場へ行け!とは旅の鉄則です。
その街に売られているもの、食べられているもの、人々の生活風景が垣間見える、言わばその街の縮図です。
ヤンゴンの市場と言えば「ボージョーアウンサンマーケット」が有名ですが、こちらは観光向け。
私がオススメするのは街で偶然見つけた「テインジー市場」です。
こんなエキゾチックな雰囲気が好きなんですよね~
カメラを向けると恥ずかしそうにパパの後ろに隠れるのも観光客に慣れてない感じがしてGOOD!
体に模様が入った兄ちゃんも生きるために必死です。
籠に入った鶏もこの後、ミャンマー人の胃袋に…
ここの食材が調理された屋台はヤンゴン市民の食卓です。
1食200円、美味しいですよ~
レストランの食事もいいけど、やっぱり屋台メシは旅の醍醐味です。
以上、高田馬場新聞初の海外取材でした。
いかがでしたか?
みんなもお仕事を休んで行っちゃえば?
食がメインになっちゃいましたけど、ミャンマーはパガンやチャイティーヨー、ポッパ山など、超ド級の観光地があるんですけど、今回はヤンゴンだけなのでまたいつか…
そして、ここからはおまけです。
実は私がヤンゴンに行ったもう一つの理由、それは祖父のお墓参り。
ミャンマーがビルマ、ヤンゴンがラングーンと呼ばれた時代、ビルマは太平洋戦争の激戦地でした。
インドから中国への物資・武器の支援ルートを断つために日本軍はビルマを通ってインドのインパールを目指した。
それが、かのインパール作戦。
ところが作戦は3か月で失敗し、日本軍は退陣を余儀なくされました。
飢えと病に苦しみ、疲れ果てた日本兵は祖国へ帰ることができず多くの人たちが力尽きた。その道は「白骨街道」と呼ばれるほど凄惨な光景だったといいます。
そしてビルマではなんと16万人もの日本兵が犠牲になった。
このなかに私の祖父がいた。
大阪で商人をしていた祖父は3歳の娘(私の母)を置いて、戦地へと赴いた。
奇しくも私の娘も3歳。
二度と娘に会うことができないと悟った彼の気持ちは私の想像を遥かに絶していたはずだ。
祖父だけではない。
ビルマで命を落とした日本兵全の多くが再び日本の地を踏むことなく、ここに眠っている。
そんな彼らが安らかに眠れるよう、日本政府や遺族がヤンゴンの郊外に『日本人墓地』を建てた。
場所はヤンゴンから電車で1~2時間ほど。
車内では現地の人たちが車窓から広がるのどかな景色を眺めている。
最寄り駅で降りて日本人墓地のことを聞いても知っている人はほとんどいなかった。
運良く英語が話せる警察官が親切に接してくれ、私が日本人墓地に行きたいことをミャンマー語でメモに書いてくれた。
そしてタクシーに乗り、現地の人にメモを見せながらようやく日本人墓地にたどり着くことができた。
日本政府によって建てられ、とても清潔に管理された慰霊碑。
ここが旧日本軍の司令部が置かれていた場所だという。
敷地内には無数のお墓があった。
遺族や生き残った元日本兵によって建てられたお墓もある。
日本から何千キロも離れたこの地にたくさんの日本人が眠っている。
涙が止まらなかった。
俳優・杉良太郎さんが建てた慰霊碑もあった。
映画「ビルマの竪琴」の主人公・水島上等兵のモデルと言われている中村一雄さんの慰霊碑もあった。
祖父のお墓がこの日本人墓地にあるのかはわからない。
だけど、慰霊碑を前で祖父に報告した。
3歳で生き別れた娘が立派な母となり、そして昨年、脳出血で倒れたことを。
まさかビルマで息絶えた自分の元に70年後、孫が訪ねてくるとは思っていなかっただろう。
帳簿にサインをし、御心付けをミャンマー人の管理人に手渡した。
帳簿にはここを訪れた日本人の名が記されていた。
日付を見ると、ここを訪れるのは1日1人くらい。
思うことはいっぱいある。
でも、心の中にしまっておく。
さぁ、ヤンゴン取材も終わったし、祖父のお墓参りも終わったし、おいしいもの食べて帰ろう~っと。
えっ、高田馬場新聞と関係ないって?
今回くらいは許してよ~、全部自腹なんだから!