2015年も4分の1が終わり、桜も満開の春の佳き日。
突然のビッグニュースが高田馬場新聞編集部に飛び込んで来ました。
それは「“高田馬場”ができたのは弥生時代だった!」というもの。
そもそもこれまでの通説をご存じない方のためにご説明しておきますと、江戸初期の寛永年間に作られた旗本たちの馬術練習場が高田馬場の地名の由来でした。
新宿区の旧跡を示す案内板も出ています。
住所でいうと西早稲田三丁目です。
極秘裏に行われていた発掘調査の結果、馬場は弥生時代にできていたことがわかったのです!
その秘密を解き明かす、世紀の発見がこれです。
身の安全を確保するため、発掘者の氏名を公表できないことをご容赦ください。
とにかくそれくらい驚きの発見なのです。
発掘されたものの大きさを比較するため、天下一品のこってりラーメンと並べてみます。
それほど大きなものではないようですね。
作業は慎重に、慎重に進められていきます。
いよいよ何かが姿を現してきました。
中国は秦始皇帝陵周辺に副葬されていたという「兵馬俑」にそっくりです!
こちらが実際の兵馬俑。かなり大きいですね。
わが高田馬場の兵馬俑は天下一品こってりラーメンの約2.5倍の大きさです。
ラーメンの価値でいえば2,000円弱ですが、歴史的価値はそんなものじゃぁすみません。
発掘した某考古学者の説によれば、弥生時代末期に馬は渡来して来ており、そのころ既に乗馬を行うための馬場がこの街にあった、その証だと言います。
日本の歴史を塗り替えるこの新たな事実。発掘の進展が待たれます!
新たな情報が入り次第、高田馬場新聞紙上でお伝えしていきますので、続報をお待ちください!