ついに、ついにこの日がやってきてしまいました。
高田馬場で19年、多くの人たちのお腹を満たしてきた有名店、最後の日。
どうやら建物が取り壊しになるから、というのがその理由とのことですが、なんにせよ最後の1杯を求めて多くのファンが詰めかけることだろうと予測はしていました。早朝からたくさん並ぶのだろう、、、と。
昨晩0時25分。
高田馬場在住の読者から情報が寄せられました。
すでに15〜16名の方々が列をなしている、と。
こ、これはヤバい。
高田馬場新聞、朝の様子を取材しにいくつもりにはしていましたが、まさかここまでとは。
10時くらいに行こうとのんきに構えていたのを前倒しして、7時半に現地へ向かうことに。
そして朝。
前の晩に情報をくれた方から続報が入ってきます。
6時頃で、コレ。
この時点ですでに120人越え。
行列がカットされるのが130人くらいとのことなので、もうほぼ定員間近ですよ、コレ。
で、高田馬場新聞が到着したのが8時。
べんてんがはるか遠くに小さ〜〜〜く見えます。
先頭辺りに並んでいる方にお話を聞いてみました。
高田馬場新聞
「何時頃から並んでいるのですか?」
先頭から2番目の男性
「あ、私は22時からです」
高田馬場新聞
「フェッ?。。昨晩の、ですよね?」
先頭から2番目の男性
「でも、先頭の方は21時から来ておられるそうですよ」
残念ながら先頭の方は取材NGとのことでお話を伺うことができませんでしたが、皆さんのべんてんに対する熱い想いはビシバシ伝わってきます。
高田馬場新聞
「閉店、残念ですよね」
先頭から2番目の男性
「そうですね。かれこれ15年くらい通いましたからねぇ。。」
続いて先頭から15番目辺りにいた4人組に話を聞いてみました。
高田馬場新聞
「どれくらい通っておられたのですか?」
男性4人グループ
「学生時代から、かれこれ7年です。年に100杯は食ってましたね」
高田馬場新聞
「ファッ?。。。年、100杯って週に3杯くらい??」
男性4人グループ
「えぇ。閉まるって聞いてからは今日で3回目です」
高田馬場新聞
「え、3回、ですか?」
男性4人グループ
「2日前は朝6時に来たらすでに50番目でした。なので今日は昨晩23時半に来ました」
もうなんか、凄すぎますね、このパワー。
しかも小雨が降っているんですよ。夕べから。
ここまで打ち込めるものがあるって素晴らしいなぁ。
とかちょっと違う方向で感心してしまいました。
中には女性も数名いらっしゃいました。
そして幸運なラストべんてんをつかみ取った方にもお話を聞きました。
両脇の2名ずつ、4名のグループがラストべんてんを摑み取った幸運な人たちです。
真ん中の方は、写真を撮っていたらひょっこり入ってきた方。
高田馬場新聞
「今日は何時に来られたのですか?」
男性グループ
「朝6時10分です。そしたらちょうど行列の数を数えているところで、我々でラスト、というギリギリのタイミングでした」
高田馬場新聞
「ラッキーでしたね!」
男性グループ
「そうですね。こいつ(右から2番目の男性)なんか、金沢から来たんですよ」
高田馬場新聞
「ホェッ??か、神奈川でなくて、金沢、ですか??」
金沢から来た男性
「そうです。昨晩仕事が終わってから東京へ来て、みんなで徹夜してからそのまま来ました」
高田馬場新聞
「じゃぁ皆さんも学生時代のお友だち、とかですか?」
金沢から来た男性
「はい。なのでみんな、久々のべんてんなんですよ」
なんと言うか当然のことですが、ここに並んでいる皆さんにとって、人生の一部となっている思い出の味であり、お店なのですよね。
それはもちろん、並ぶことが叶わなかった人たちにとっても同様でしょう。
ラーメン激戦区と言われるまでになった高田馬場にありながら、いつも行列ができていたお店、べんてん。
時代の流れやいろんな事情や、どうしようもできないことがたくさんあると思います。
だから無理に続けてもらうこともできないし、僕たちはその味と思い出を持って、これからも続く人生を送らなければなりません。
そしてそんな、同じ想いを共有してきた人たちがこんなにたくさん高田馬場にいた、そのことがなんだか寂しくも嬉しい気持ちにさせるわけで。
最後に言いましょう。